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札幌地方裁判所 昭和32年(た)2号 判決

請求人 山際悟一

決  定

(請求人氏名略)

右の者に対する強姦未遂、強姦致傷、窃盗被告事件について、昭和三十年七月十三日当裁判所が言渡した有罪の確定判決に対し、同人から再審の請求があつたので、当裁判所は請求人及びその相手方の意見を聴いたうえ、つぎのとおり決定する。

主文

本件再審を開始する。

理由

本件再審請求理由の要旨は、請求人山際悟一は昭和三十年七月十三日札幌地方裁判所で強姦未遂、強姦致傷、窃盗被告事件により「被告人(請求人)を懲役三年に処する。未決勾留日数中三十日を右本刑に算入する。訴訟費用は全部被告人の負担とする。」という判決の言渡をうけ、この判決は同月二十八日確定した。(以下これを原判決という)而して原判決は判示第一において強姦未遂(被害者A)の事実を、同第二において強姦致傷、窃盗(被害者B)の事実を各認定し、この両者の関係につき被告人(請求人)は第一の犯行後逃走した足で第二の犯行を犯したものであると判示して互にその関連性を認めている。

ところで、右判示第二の事実についてはその後真犯人佐藤勝夫が検挙され有罪の確定判決をうけたから、この点についての請求人の原審における自白などは真実でなかつたことが判明した。

そこで原判示第一の「請求人が昭和三十年五月八日午后七時半頃、札幌市琴似町南発寒道立農業試験場林檎園附近路上において、Aを強姦せんとして未遂に終つた。」という強姦未遂の事実について考えてみると、原審で取調べられた証拠中、請求人の自白はその捜査、審理の経過に鑑み、判示第二の事実に対する自白と同様真実でない自白であることが判明したうえ、その余の証拠によると請求人が真犯人でないことを窺うことができる。また、その犯行時刻(特に明暗の程度)と被害者及び請求人の歩行経路(特に請求人の立ち寄り先、所要時間、距離)の関係から請求人が本件犯人でないこと、殊に本件犯行時刻頃には請求人は友人三島純雄と行動をともにし、酒食などをしているのであるから、請求人が本件犯人でないこと明らかである。

かくして無罪を言渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したから、再審請求に及んだというにある。

第一、(原審の確定判決)

記録を精査すれば、請求人が昭和三十年七月十三日札幌地方裁判所で強姦未遂、強姦致傷、窃盗被告事件により、被告人(請求人)は、

第一、昭和三十年五月八日午后七時半頃飲酒して帰宅の路すがら、おりから通行中のA(当二十九年)を認めるや欲情にかられ、強いて姦淫しようと企てそのあとを尾行した上、札幌市琴似町南発寒道立農業試験場林檎園附近路上において、人通りの少いのを見はからい、やにわに同女の背後から躍りかかつてその場に仰向けに押倒して馬乗りとなり、左手で同女の口を押えつつ右手でそのスカートをまくろうとする等の暴行を加えたが、同女が隙をみて大声で救いを求めたため、他人の来る気配を感じ已むなく断念して姦淫の目的を遂げず(以下第一の事実を被害者Aの事件という)

第二、前記犯行後逃走した足で同市琴似町所在の琴似郵便局前附近に差しかかつた際、たまたま帰宅の途中にあつた店員B(当二十年)を認め、

(一)、再び劣情を催し同女を強姦しようと企てて尾行し、同日午后九時三十分頃同市琴似町南発寒長永橋を渡り過ぎた地点で、にわかに同女の背後から右手でその腕の辺りを掴んでその場に仰向けに引倒し馬乗りとなつた上、声を立てないよう所持していた硬い紙片(昭和三十年領第一三一号の二)を同女の口へ二、三度押しこもうとする等の暴行を加え、強いて姦淫しようとしたが、激しい抵抗にあつたため同女に全治まで約一週間を要する上口唇内出血等の傷害を与えたのに止り、姦淫の目的を遂げず、

(二)、右犯行後、同所において同女が逃亡する際、その場に置き去つた同女所有の革製ショルダーバック一個(現金千三百四十円他雑品七点在中)他一点(合計約六千八百円相当)を窃取し、(以下第二の事実を被害者Bの事件という)

たものであるとの事実に基いて「被告人(請求人)を懲役三年に処する。未決勾留日数中三十日を右本刑に算入する。訴訟費用は全部被告人の負担とする。」という判決の言渡をうけ、該判決が同年七月二十八日確定したことは明白である。

第二、(佐藤勝夫に対する確定判決)

また、被害者Bの事件(原判決の第二の事実)につき、真犯人佐藤勝夫が検挙され、同人が昭和三十一年十二月二十四日札幌地方裁判所で他の犯罪事実とあわせて懲役三年の有罪判決をうけ、該判決が翌三十二年一月八日確定したこと(昭和三十一年わ第三百五号強姦致傷、強姦未遂、窃盗被告事件)も明白である。

第三、(事件の概要)

昭和三十年四、五月頃琴似町附近においては、強姦及び同未遂事件(被害者C、D、A、B等)が頻発した。捜査当局においては、たまたまDから請求人が犯人である旨聞込みをえたので同人の取調を開始した。同年五月十二日午后一時半頃請求人に対し琴似警部派出所に任意出頭を求め、一応被害者D、A、Bの各事件につき供述を求めたところ、当初においては右三名に対する事件全部を否認した。しかし、午后四時半頃被害者Dに対する犯行を自供し、ついで他の二名に対する犯行も自供した。この際いわゆる面通しをしたのであるが、被害者D及びAは請求人が犯人に間違いない旨申立て、被害者B及びCは請求人が犯人かどうかはつきりしない旨申立て、その他の二名の被害者は請求人は犯人と全然違う旨申立てた。同日午后九時三十分頃被害者Dの事件で緊急逮捕された。翌十三日昼頃の取調の時には、請求人は被害者Dの事件は前日に続いてそのまま認めながら、同A及びBの事件はこれを否認した。同日午后三時頃の取調の時には被害者A及びBの事件を自供した。その後また、被害者Aの事件だけ否認した。(被害者Bの事件については自供によつて捜索したが証拠品は全く発見されなかつた。)翌十四日被害者Dの事件は認めたまま、Aの事件は否認のまま事件は検察官に送致された。同月十八日被害者Aの事件を警察で自供した。ところが翌十九日に至り、Dが告訴を取下げたので釈放され、直ちに被害者Aの事件で通常逮捕された。同月二十二日被害者Bの事件は認めたまま、Cの事件は否認のまま事件は検察官に送致され、被害者Cの事件は起訴されなかつたが、被害者Aの事件は同年六月一日付で、被害者Bの事件は同月六日付でいずれも自白のまま起訴され、原審裁判所においてもその自白を維持して裁判をうけ、右両事件につき懲役三年の確定判決があつた。(この確定判決の点は既述の通りである。)

しかるに、その後昭和三十一年一月九日午后十時三十分頃、被害者Eの強姦未遂等事件が発生し、佐藤勝夫の妻の所持品のなかから右Eの盗難品が発見されたことから、当時小樽拘置所に在監中の佐藤勝夫を取調べたところ、右Eに対する犯行を自供し、同月二十三日佐藤勝夫方を捜索したところ、前記被害者Bの盗難品が発見された。かくして五月一日に至り佐藤勝夫が被害者Bに対する単独犯行(原判示第二の事実)を自供し、ここにおいて被害者Bの事件の真犯人が現われることとなつた。

右のような経過に鑑み、検察官は請求人を確定判決後更に取調べたが、右佐藤と共犯であるとは認められなかつたうえ、請求人は被害者B及びA各事件の犯行を否定するに至つた。他方佐藤勝夫は被害者Bの事件に他の犯罪事実をあわせて懲役三年の確定判決をうけた。(この点も既述のとおりである。)検察官は請求人がうけた確定判決のうち被害者Bの犯罪事実につき真犯人佐藤勝夫が有罪判決をうけたことを理由に再審請求をなし、請求人は被害者Aの犯罪事実につき再審請求をなした。前者について既に再審開始決定が確定している。(昭和三十二年た第一号再審請求事件)後者が即ち本件である。

第四、(証拠の明白性)

進んで無罪を言渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したかどうかについて判断する。

按ずるに、凡そ再審制度は原判決の法的安定性を打破するに足る著しい事実誤認を是正することを目的とするものであるから、刑事訴訟法第四百三十五条第六号所定の無罪を言渡すべき明らかな証拠とは、確定判決の基礎となつた事実の認定を覆して無罪の認定をなすべき可能性の高度に認められる証拠(証拠の明白性)をいうものと解するを相当する。

而して、右明白性の判断は諸般の事情を考慮してこれをしなければならない。それはむしろ当然の事理であるというべく、条文上も刑事訴訟法第四百三十五条の規定によれば本号を除く各号は再審理由を限定的に列挙し、しかもその立証は厳格な確定判決などによつて立証することを要するとしているのであるが、本号は前記再審制度の目的に照し、これらと類似の場合について規定し、しかもそれは確定判決によつて立証するを要するというような特段の制限はしていない。されば、本号の再審理由として主張された事実が同号に該当するかどうかを判断する場合には、その証拠価値の心証判断にあたり、原審で取調べられた証拠及び再審証拠など諸般の事情を総合し、事件全体を観察したうえ、これを判断するのが相当である。

これを本件についてみるに、原審確定事件記録及び佐藤勝夫に対する札幌地方裁判所昭和三十一年わ第三百五号強姦致傷、強姦未遂、窃盗被告事件確定記録を調査したうえ、請求人提出の証拠に当裁判所の事実取調の結果を総合すれば次の通りである。

一、(証拠関係)

本件被害者Aの強姦未遂の事実につき、前記判示月日に判示のような強姦未遂の被害があつたことは、原判決引用のA(被害者)の検察官及び司法警察員に対する各供述調書並びに司法警察員横山勇太郎作成の実況見分調書により明白であつて、再審証拠にもこの点を疑わせるに足る証拠はない。但し、犯行時刻については後に記述するとおりである。

原判決引用証拠中、右強姦未遂の犯人が請求人であることを一応認めるに役立つ証拠は、請求人の自白である同人の原審公廷の供述、検察官及び司法警察員遠藤吾太郎に対する昭和三十年五月二十日付各供述調書(右各供述の内容は同旨であるから特にことわらない限り三者を合せて単に請求人の自白という)とAの検察官及び司法警察員に対する各供述調書(右両供述調書の内容は同旨であるから以下単に被害者調書という)とを措いて他に求めることができない。この両者に疑問をいだく余地がないならば原審認定もまた動かすべからざるものというべきである。しかしながら、再審証拠によればそうであるとはいい難い。以下原審の証拠及び再審証拠に論及する。

(一)(原審が認定資料に供した証拠)

(1)(請求人の自白)

(イ)請求人の司法警察員遠藤吾太郎に対する昭和三十年五月二十日付供述調書によると、請求人は当日午後五時半頃中島金次郎方の浴場火夫の仕事を終えて帰宅の途中、川端雑貨店に立ち寄り焼酎一杯をのみ、煙草(朝日)一個を買つて代金合計七十円を支払い、友人三島純雄宅を訪れて同人と一諸に飲食店「君万才」に至り、請求人において焼酎を、三島においてラーメン一杯を酒食し、その代金合計百十円を請求人において支払い、その後右飲食店前附近で三島と些細なことから喧嘩をしたため一杯のんで仲直りしようと考え、三島とともに右中島方に引返した。中島方に行つたのは午後七時半頃と思う。中島方に行つたのは当日持ち合せていた二百円を殆ど使つてしまつたので金借に行つたのである。ここで金五百円を借用し、白井食堂前まで来たところ、右三島は同所から帰宅したので請求人一人で白井食堂にはいり飲酒した。ここでは三杯位飲んだがそれは食堂の男と女の人が出してくれた。この食堂を出たのは午後九時か十時頃と思う。この食堂を出てから琴似駅附近で女を発見したので尾行して行つた。途中橋を渡り、鉄道踏切を越え林檎園のところに来たので犯行に及んだ。そこでは請求人は女の左側によつて足払いをかけて倒し、口を押えた。そして請求人も女も何もしやべらなかつたが通行人の話声がしたので逃げたというのである。

(ロ)請求人の検察官に対する供述調書によると、右司法警察員遠藤吾太郎に対する昭和三十年五月二十日付供述調書の内容と同旨の供述のほか、請求人は一人で白井食堂にはいり焼酎をのみ、午後五時頃から七時半頃まで合計五、六杯飲んだ。それから琴似駅前で二十七、八才の女を認め関係しようと思つて五、六丁尾行し、林檎園のところで女の後から両手で口を押え、何もいわないでその場に倒してかかつて行つた。そこでは女が請求人にものをいつたような記憶はないというのである。

(ハ)請求人の原審公廷の供述は第一回公判において事実は全部その通り相違ありませんといつているに過ぎない。この供述からは事件の前後の事情等詳細をくみとることができない。ただ、被害者Bに対する事件も併合審理されているのであつて、請求人は前記(佐藤勝夫に対する確定判決)のように明らかに自己の犯行でない被害者Bに対する事実を含めて概括的に全部その通り相違ありませんと自白している点を指摘することができる。

右(イ)(ロ)の両調書の内容を比較すると、請求人が白井食堂を出た時刻と犯行の手段の二点において非常に差異があること、この差異を生ずるに至つた理由について特に説明をしていないこと、中島方で仕事を終え白井食堂まで来た経過、被害者を発見した場所、被害者を尾行したこと及び犯行現場では被害者が声を出したことはないという点においては略一致していること、請求人が被害者を尾行した経路及び逃走の動機の点については検察官に対する供述調書中にはその供述の詳細がないことを指摘することができる。

(2)(被害者調書)

(イ)Aの司法警察員に対する供述調書によると、被害者は当日主人の帰宅が遅いので隣りの人にも七時半にもなるから迎えに行つてくるといつて家を出た。約半丁歩いたところで被害をうけたのであるが、それは午後七時四十分頃である。この時犯人は「だまつていれ声を出すな」等といつた。犯人は酒のにおいがしていた。屋外は案外明るかつたので犯人は請求人であるとはつきりいうことができる。犯人の服装について靴は白の新品同様の編上運動靴、上衣は国防色のようなジャンパーコートである。犯人の顏は一見特徴のある人であるというのである。

(ロ)Aの検察官に対する供述調書によると、Aは当日午後七時半頃家を出たので、被害をうけたのは午後七時四十分頃である。被害の模様は、突然後から片手で咽喉部を片手で口を押えられた。この時犯人は酒のにおいがしていた。犯行現場は電燈のないところであるが、まだ薄明りで人の顏はそばでは見分けられる程度だつた。犯人に対しあなたの好きな様にさせるから私のアパートまで行きましようとか好きなようにさせるから手をゆるめてくれといつた。犯人は請求人に相違ないというのである。

右被害者の両調書の内容を比較すると、犯行の時刻、犯人は酒のにおいがしていたこと、屋外は割合明るかつたこと及び犯人は請求人であるという点においてほぼ一致していること、犯人の服装等については検察官に対する供述調書中にはその供述の詳細がないことを指摘することができる。

(3)実況見分調書によると、その実況見分に被害者が立会つている。立会人は実況見分の際種々指示供述しているが、右調書中には被害者が家を出たのは午后六時二十分頃である。犯行現場では薪割りをしていた黒沢さんがマサカリを持つたまま馳せつけた。被害者の口を押えた犯人の手はカサカサの掌で労働者風の手であるという点を指摘することができる。

(二)(原審で取調べられたが認定資料に供されていない証拠)

(1)請求人の司法警察員に対する昭和三十年五月十八日付供述調書の内容は、前記司法警察員遠藤吾太郎に対する昭和三十年五月二十日付供述調書の内容と同旨であるほか、川端雑貨店で焼酎一合をコップでのみ、君万才では焼酎一杯をのみ、この店を出た時は薄暗かつたので午后七時近かつたと思う。それから白井食堂では焼酎をコップで三杯のみ、この食堂を出たのは午后九時頃と思う。琴似駅の下に発寒の方に行く女を認めて、六丁位追いかけ、林檎園のところでは「一寸」といつて女の手をとり足をかけて倒した。逃走の動機について発寒の方から男二人が来たので逃げた。当日私はゴム長靴であつた。女は靴をはいていたという点を指摘することができる。尚、この調書は請求人の自白調書の中で最初のものであることを指摘することができる。

(2)三島純雄の司法警察員に対する供述調書によると、三島は当日午后五時半頃、請求人が飲みに行こうと誘つてくれたので一緒に出かけた。その時の請求人の服装は白いような青いまじりの入つたジャンパー、紺色ズボン、ゴム長靴と思う。三島の家から約一丁半歩き、飲食店「君万才」で私はラーメンを食べ、請求人は焼酎をコップで一杯のんだ。ここを出た時は通行人の顏や服装ははつきり分るが薄暗い感じだつた。請求人が通行人と喧嘩しそうになつたので三島が仲裁に入つたところ請求人は三島にかかつて来た。その後請求人が三島に謝つて、仲直りしようというので一緒に中島方に金を借りに行つた。請求人は金を借りてすぐ出て来たので四、五丁歩いて白井食堂前まで来た。三島は白井食堂に入らずにそこで請求人と別れて帰宅した。はつきり申上げられないが家に帰つたのは午后八時頃と思うというのである。

尚、この調書の証拠調請求の立証趣旨は、被害者Bの事件について被告人(請求人)の犯行前の状況を立証するものであつたことを附言することができる。

(3)中島金次郎の司法警察員に対する供述調書によると、中島は浴場を経営し、その仕事に請求人を使つていた。請求人は五月八日(事件当日)午后五時二十分頃中島方から帰つて行つた。それから暗くなつてから請求人が四百円貸してくれといつて引返して来た。中島は請求人に五百円を渡してからお茶を一杯のんで浴場のマットを敷替えた。請求人が中島方に引返して来た時刻は浴場脱衣所のマットを取替える時刻頃だつたから、午后八時頃から九時頃までの間であつた様に思うというのである。

尚、この調書の証拠調請求の立証趣旨は、被害者Bの事件について被告人(請求人)の犯行直後の動静を立証するものであつたことを附言することができる。

以上原審で取調べられた証拠の主なものは右(一)(二)に述べたとおりであるから、請求人が自白しなかつたならば有罪の認定をすることは著しく困難であつたことを看取することができる。

(三)(再審証拠の一)

(1)まず、当裁判所の検証調書及び受命裁判官の証人Aに対する尋問調書によると、

(イ)(被害者の歩行経路等)

被害者Aの住居、本件犯行現場である林檎園、鉄道、橋及び琴似駅等の位置関係は、被害者が当時居住していた佐々木アパートと犯行現場である林檎園とは道路をはさんで隣り合せになつており、この被害者方前の道路(林檎園の北側道路)を、林檎園を右手に望みながらほぼ東進すれば林檎園がきれるところ(林檎園の北東隅)にほぼ右折する道路(林檎園の東側道路)がある。ここで右折して林檎園の東側道路を南下すれば犯行現場及び黒沢正方に至り、更に南下すれば桑折已智子方に至る。林檎園の北東隅で右折せずにそのまま東進すれば鉄道踏切を越えて、琴似駅から小樽に通ずる道路に出る。ここで右折して南下すれば発寒川にかかつている橋を渡つて琴似駅に至る。被害者は事件当日自宅を出てから林檎園の北側道路を東進し、鉄道踏切まで行かないうちに右折し、林檎園の東側道路を南下して幾らも行かないうちに被害をうけた。その被害(犯行)現場は林檎園の東側道路上である。被害者は被害をうけた後、黒沢方前を通つて桑折方に行つた。被害者の自宅から犯行現場までの距離は僅かに約二百米である。請求人の自供する琴似駅の方から橋を渡り、鉄道踏切を越えて犯行現場に至る経路は被害者の歩行経路と全く正反対の方向である。この点において請求人の自供による歩行経路は被害者のそれと全く矛盾するものであることが判明するものといわねばならない。

(ロ)その余の犯行現場における状態、犯行時の明暗、その時刻等についての供述は、被害者調書の内容と同旨であるが、被害者が自宅を出る時隣りの人にもう七時半になるのに主人が帰宅しない旨いつたことは述べていないこと、犯人の靴は白いズックようの靴であること及び被害者は下駄ばきであつたことを指摘することができる。犯人の特定については後述する。

(2)次に受命裁判官の証人三島純雄、同中島金次郎に対する各尋問調書によると

先ず証人三島の供述するところによれば、

(イ)(請求人の歩行経路)

前記((一)の(1)の(イ))請求人の司法警察員遠藤吾太郎に対する昭和三十年五月二十日付供述調書中請求人が三島方を訪れて両名行動をともにし、請求人において中島方から金借し、両名は白井食堂前で別れたという部分と同旨である。その供述は自然であつて矛盾がない。そのほか、

(ロ)(時間的関係)

(A)請求人は当日黒のゴム半長靴をはいていた。三島と請求人が喧嘩した時及び中島方に金借に行つた時は既に屋外は暗かつたし、三島が帰宅して家の時計をみたら午后八時が十分位過ぎていたから、三島が請求人と白井食堂前で別れた時刻は午后八時過ぎであるというのである。これによれば本件犯行は暗くならないうちの犯行であるから、請求人が暗くなつてから三島と別れた午后八時過に本件犯行を犯しうるものでないこと及び被害者は犯人は白いズックようの靴であつたというのであるから、黒いゴム半長靴をはいている者(請求人)は犯人でないことが判明するものといわねばならない。

証人中島の供述するところによれば、

(B)中島方では浴場脱衣所のマットを取替えるのは客の入りの一番多い午后八時頃であるが、請求人が金借に来たのはその頃である。中島は請求人が四百円貸してくれといつて来たが足りないのではないかと思つて五百円渡した。その頃屋外は暗かつたし、中島は五百円を請求人に渡してから一寸(約十分位)して浴場のマットを取替えたというのである。これによれば請求人が中島方で金借をした午后八時頃以降に午后七時半頃の本件犯行を犯しうるものでないことが判明するものといわねばならない。

(3)次に三島純雄の検察官に対する昭和三十一年七月二十一日付供述調書、中島金次郎の検察官に対する供述調書、三島純雄及び中島金次郎の弁護人に対する各供述調書によると、その内容は受命裁判官の右両名に対する尋問調書の内容と同旨である。

(4)次に西川アサ子の司法警察員に対する昭和三十年五月十七日付供述調書によると、西川アサ子は飲食店「君万才」を経営している。五月八日請求人は他の人と二人で飲みに来た。それは暗くなつてからであるから午后八時頃であると思う。連れの人はラーメンを食べ、請求人は焼酎をコップで四杯位飲んだ。店には一時間位いたと思う。確か二百五十円受取つたと思うというのである。

尚、この調書は事件当時作成されたものであるが、原審で証拠調がなされていないことを指摘することができる。

(5)札幌管区気象台作成の証明書によると、当日の日没は午后六時四十二分、月の出は午后八時十四分、雲量六ないし八である。ここでは午后七時半ないし四十分といえばそれは薄暮(日没から約一時間内をいう)の末期であつて、むしろ暗いといつた方が適切であることを指摘することができる。

(6)受命裁判官の証人黒沢正に対する尋問調書によると、黒沢は犯行現場のすぐ近くに居住している。被害者の救いを求める声を聞いて現場に出てみた。その時犯人は逃走していたのでその後姿を認めただけであるから犯人の特定はできない。その頃の明るさは私が屋外の明りで薪割をしていた時だからそれ程暗くない。時計をみてないので判然としないが、日没時間から考えて午后七時頃であるというのである。

(7)受命裁判官の証人桑折已智子に対する尋問調書によると、事件当時の主人の帰宅の時間は午后七時頃である。もうそろそろ主人が帰つてくるなと思つている時被害者が「捕つた」といつて来た。被害者が私方に来た時刻ははつきりしないが、主人が帰宅する十分位前だつた。当時の明るさはまだすつかり暗くならず、薄明りだつたというのである。

(8)受命裁判官の証人横山勇太郎に対する尋問調書によると、同証人は実況見分調書を作成した。そこに記載されてある午后六時二十分頃(被害者が家を出た時刻)というのは、被害者が実況見分に立会つたので同人に聞いて書いたと思う。その頃の明るさは日が落ちた頃で、末だ薄明るい程度であるというのである。

尚、暦上日没が午后六時四十二分であつても、太陽が琴似町の西の山に落ちるのはその頃(午后六時二十分頃)であるというのである。

(9)受命裁判官の検証調書によると中島方から川端雑貨店まで約千百米、歩行時間約十八分(中島方から琴似駅まで約三百五十米、歩行時間約六分、琴似駅から川端雑貨店まで約七百五十米、歩行時間約十二分)、川端雑貨店から三島方まで約六百米、歩行時間約九分、三島方から「君万才」まで約二百七十米、歩行時間約四分、三島方から中島方まで約千六百五十米、歩行時間約二十七分、(君万才から中島方まではこれと略同じである。)中島方から白井食堂まで約千五百米、歩行時間約二十五分、白井食堂から三島方まで約百五十米、歩行時間約二分、白井食堂から琴似駅まで約千百五十米、歩行時間約十九分、琴似駅から犯行現場まで約千米、歩行時間約十五分である。その合計は約七・二七粁、所要時間約一時間五十七分である。

(10)弁護人の実測による右歩行時間の合計は一時間四十分余である。ここでは右(9)と併せ考え、請求人の立寄先の所要時間を考慮するならば、請求人が午后七時半頃に犯行現場附近に到達することは著しく困難であることを指摘することができる。

(11)尚、請求人の検察官に対する昭和三十一年六月二十日付供述調書の内容は本件犯行を否定するものであるが、これについては後述する(二の(一)の(2))。琴似町の千分の一の地図は現場附近の地理的関係を明らかにするものであつて、特に説明をする必要はない。

右に述べたような再審証拠だけによつても、請求人が犯人でないことを十分に窺うことができる。

(四)(再審証拠の二―原判決後の捜査機関の取調の結果)

(1)請求人の検察官に対する昭和三十一年六月二十日付供述調書の内容は後記二の(一)の(2)に、萩谷鉄次及び横山勇太郎の検察官に対する各供述調書の内容は後記二の(二)に、三島純雄及び中島金次郎の検察官に対する各供述調書の内容は前記一の(三)の(3)にそれぞれ記述するとおりである。これらの証拠は、請求人が三島と行動をともにしたこと、その時の請求人の服装は黒のゴム半長靴であること、中島方に金借に行つたのは暗くなつてからで午后八時頃であること、三島と白井食堂前で別れたのは午后八時過であることなどを内容とし、その供述の内容には不自然不合理性がないことを指摘することができる。

(2)検察官作成の山際吾一の強姦未遂、窃盗被告事件確定記録中の、同人の供述調書による昭和三十年五月八日の犯行前後の足取についての歩行距離、所要時間についてと題する書面によると、中島方から犯行現場まで約七・六粁、その歩行時間約一時間四十分である。これは弁護人の実測値とほぼ一致することを指摘することができる。

(3)司法警察員遠藤吾太郎作成の昭和三十一年六月九日付強姦未遂事件取調状況についてと題する書面によると、同警察官は本件強姦未遂事件の捜査に当り請求人の自白があつた後においても尚次のような二点に疑問を残していたことが判明する。即ち(イ)(時間的くいちがい)(ロ)(犯人の靴)の二点である。

(イ)(時間的くいちがい)

被害者の供述によると、犯行時刻は午后七時四十分頃であるというのに対して、請求人の供述によると請求人は当日午后五時過友人三島純雄宅を訪れて、三島とともに飲食店に行つたりなどしたので犯行はその後三島と別れてからであるから、その時刻は午后九時半か十時頃であるというのであつて、両者に時間的なくいちがいがあることであつた。ただ、この点については三島純雄の司法警察員に対する供述調書によつて(但しそれによつても三島と請求人が別れた時刻から計算してみると犯行時刻は午后八時頃以降であるということになるのである)不可能ではないと考えて事件を検察官に送致したというのである。しかし、今になつて考えてみると、犯行現場附近の地理にくわしくなかつたので警察の捜査には落度があつたのかもしれないというのである。

(ロ)(犯人の靴)

被害者の供述によると、犯人は白ズック靴であるというのであるが、請求人はこれをはいておらず、請求人方を捜索してもついにこれを発見するに至らなかつたことである。しかし、被害者において請求人が犯人である旨申立てるのでそれを信用してこの点は特段の解決をみないまま事件を検察官に送致したというのである。

以上のような原判決後の捜査機関の取調の結果だけから判断しても、請求人が真犯人でないことを窺うことができる。

(4)尚、

(イ)藤井政雄の検察官に対する昭和三十一年七月六日付供述調書によると、その内容は、昭和三十年五月八日の晩請求人が一人で店に来て焼酎二杯をのんで行つた。店に来た時刻は午后十時半か十一時頃、帰つたのは午后十一時半頃である。請求人は同店で「俺はこれで六杯目だ」とかいいながらのんでいたというのである。尚、翌九日に焼酎一杯を貸しで飲ませたのでそれを書きとめていたから、警察官に当時話したことは間違いないというのである。

(ロ)同人の司法警察員に対する昭和三十年五月十七日付供述調書によると、その内容は右検察官に対する供述調書の内容と同旨であるほか、藤井は飲食店はるみを経営している。請求人が店に来た時刻は午後十一時過頃で、請求人は同店で「俺は今日焼酎を六杯のんで喧嘩して来た、ここで二杯のめば八杯目だ」と話していたというのである。

二、(自白の任意性及び真実性)

以上の証拠関係からみると、請求人の自白は前記一の(三)の(請求人と被害者の歩行経路)、(時間的関係)、更に犯人の服装、犯行現場での状態などにおいて、他の証拠と矛盾し、それ自体としても不自然不合理なものを含んでいることが明かであつて、その自白が真相を述べたものであるかどうかは甚だ疑わしいといわなければならない。この点についてみるに、

(一)(請求人の弁解)

(1)前記(一の(一)の(1))の請求人の司法警察員に対する供述調書中、請求人が白井食堂を出た時間は午後九時か十時頃であるという部分は、そうであるならば午後七時半頃の本件犯行を犯しえないこと明らかであるから、単に林檎園附近で本件犯行に及んだと自白しても、それは不合理な供述であることは勿論、右はかくれた弁解の一つとみることができる。また、琴似駅附近で女をみつけて尾行して行つたという部分も、被害者は琴似駅附近を通行していないのであるから、同一にみることができる。請求人の検察官に対する供述調書中、白井食堂にいたのは午後七時半頃までであるという部分は、前記(一の(三)の(2))の証人三島、同中島の供述と矛盾し、司法警察員に対する供述調書中白井食堂を出たのは午後九時か十時頃であるという部分に較べて約二時間の開きがあるにもかかわらず、特段の説明を見出しえない不自然さがある一方琴似駅附近で女を認めて尾行したという部分は司法警察員に対する供述調書中のそれと同様かくれた弁解の一つとみることができる。

(2)請求人の検察官に対する原判決後の昭和三十一年六月二十日付供述調書によると、請求人が右に述べたような自白をしたのは「私はやらないような気がしていたが酒に酔つて分らなかつたし、被害者が私の面前で私がやつたというので被害者がやつたと断言する以上自分がやつたんだろうと思つて自白した。私が自白する時警察官が無理な取調をしたのではないが、いわゆる助け船はした」というのである。尚、当日の歩行経路、服装等について述べているが、前記(一の(一)の(1))司法警察員及び検察官に対する各供述調書の内容と同旨のほか、三島方で約十五分位待つた(三島が寝ていたので外出の準備をする間)。「君万才」で三島と私は酒食し、ここに午後六時頃から七時頃までいた。白井食堂で掛時計をみると午後八時三十分だつた。どの位のんだか分らない。そこを出てから途中寄り道したかどうか分らない。その後「はるみ」という酒場に寄り一時間以上ここで飲んだような気がする。帰宅は午後十二時前だつたろうか、どのようにして帰つたか分らない。私は何時も半長靴であり、ズック靴は持つていないという点及び白井食堂から「はるみ」に行くまで「はるみ」から家に帰るまでのことは思い出せないので、この事件で調べをうけたときには本件犯行をやつたのかと思つていましたというのである。

(二)(自白の任意性)

そこで進んで請求人が自白をするに至つた経緯を検討してみることとする。

自白の経過の大要は前記第三(事件の概要)に述べたとおりである。ところで萩谷鉄次の検察官に対する昭和三十一年六月八日付、横山勇太郎の検察官に対する同月九日付各供述調書によると、五月十二日琴似警部派出所において請求人を取調中、被害者Aが出頭して、請求人に対し「あんたやつたのでないですか」「あんたでしよう」「やつたらやつたと男らしくいつたらどうか」等といい、暗に請求人が犯人である旨きめつけて自白を求めるが如き言動に出たところ、請求人は「すみません」といつて頭を下げたので一応自白したものと認められ、これが請求人の自白の端緒となつたことが明らかである。遠藤吾太郎作成の昭和三十一年六月九日付強姦未遂事件取調状況についてと題する書面によると、五月十三日の取調に対しては「Aという女と逢つた時に此の人だ、此の人に間違いないといわれたから俺も酒を呑んでいたのでよくその事情がわからないから謝つておけばよいだろうと思つて謝つておいたが私でない」といつて否認した。

而して、警察においては否認したり自白したりした後、検察庁、裁判所において右自白を維持していたものである。その間において、拷問や脅迫等がなされたことは認められないのであるが、被害者において請求人が犯人である旨申立てるので、警察官がこれを利用して請求人を追究し、所謂助け船(誘導)をしたことが窺われるうえ、本件自白は派出所における自白に始まるところ、請求人が前記のように派出所で取調をうける場合、捜査機関でない一私人が同席して暗に請求人を犯人である旨きめつけてその自白を求めるが如き言動に出た場合における請求人の自白は、虚偽の陳述を誘発する虞のある事情のもとになされたものであるから、少くとも司法警察員に対する右自白は任意になされたものでない疑のあるものといわねばならない。

(三)(自白の真実性)

検察官に対する自白については、検察官が請求人に対し直接不当な圧力を加えたというような事実はこれを認むべき資料なく、原審公廷における自白についてもその点は勿論同様であるが、請求人の検察官に対する自白も、原審公廷の自白も、司法警察員に対する自白と大同小異であつて、その内容には前叙のように種々の疑点があるうえ前記(一の(一)の(1)の(ハ))のように原審公廷において請求人は被害者Aの本件強姦未遂の点のみならず、被害者Bの強姦致傷、窃盗の点をも合せて概括的に全事実を自白しているのであつて、しかも右自白の一部(強姦致傷、窃盗)につき真犯人があらわれた結果、原審公廷の自白には虚偽の自白が含まれていたという事実を併せ考えれば、請求人の検察官に対する自白及び原審公廷の自白はその任意性の点を暫く措くとしてもその真実性に疑があるものといわねばならない。

これを要するに、請求人の自白は任意性又は真実性に疑があつて証拠とすることができない状況にあることが判明するものといわねばならない。

三、(犯人の特定)

被害者調書などによると、被害者Aが請求人を犯人である旨相当強く考え、その結果警察官に対して法廷においても請求人が犯人であると断言できる旨申し述べていたことが窺われるけれども、夕刻頃の突嗟の強姦未遂事件に際して被害者がしかく明確に犯人を記憶することは相当困難であると考えられるばかりでなく、受命裁判官の証人A(被害者)に対する尋問調書によると、被害者が請求人を犯人と思料したのは一見して人相着衣等から同人が犯人であると識別しえたというのではなく、次の事情によるものである。即ち所謂面通しによつて前記派出所において被害者が先ず請求人の横顏を見たところでははつきり犯人だということはできなかつたのであるが、犯行時自己が犯人の手をかじつたことがあつて、その手はかたい手であるとの印象をうけていたことから警察官にその旨尋ねたところ、警察官から請求人の手はかたいということを聞かされ、次いで請求人の顏を正前から見、またその声を聞き、請求人が犯人ではなかろうかとの印象をうけ、ここにおいて被害者は請求人に対し「あんたやつたのでないですか」「あんたでしよう声も似ている」等といい、請求人が「すみません」といつて頭を下げるに及んで前記の如く請求人が犯人であると思料するに至つたものであり、「証人(被害者)が見せられた男は、この事件の犯人だとして警察に呼ばれているし、犯行時の印象が漠然として残つているのでやまをかけてあなたでしようといつたら相手は頭を下げたという訳ではありませんか」との問に対し、「そのような気持もありました。それで声をかけなければ良かつたと後悔に似た気持がしました」というのである。してみると、被害者の請求人が犯人である旨の供述もにわかに措信し難い状況にあることが判明したものといわねばならない。

以上の諸点に鑑みると原審で取調べられた各証拠はいずれも請求人が犯人であることを認めるに足るものであるとはいい難いことが判明したものということができる。

四、(再審証拠によつて認められる事実)

既に述べたような再審証拠によつておのずから判明するところであるが、それによつて認められる事実を要約すれば、

(一)(被害者側からみた場合)

被害者が自宅を出てから犯行現場に到達するまでの歩行経路は前記一の(三)の(1)に述べたとおりであつて、請求人の自白調書の内容がこれと矛盾することはそこに述べたとおりである。

被害者が、請求人を犯人と思料したことが根拠に乏しいものであることも既述(前記三)のとおりである。

従つてここには犯行時刻とその明暗に関するものについて論述する。

本件においては、犯行時の明暗の程度が明るければ明るい程被害者が犯人の特徴(人相、着衣等)を識別することは容易になる訳であるが、犯行時刻は午后七時半ないし四十分頃よりもそれだけ早くならざるをえず、犯行時刻が早くなればなる程請求人がその時刻に犯行現場に到達することは困難となり、ついには不可能にならざるをえない関係にあることが留意されねばならない。

(犯行時刻とその明暗)

本件犯行は午后七時半頃の犯行であるというのである。それは午后七時半を中心として前後の若干時間を含むのであるが、原審証拠を一読すれば午后七時半より以前ではなく以後であることを容易に看取することができる。蓋し、被害者調書によれば午后七時三十分頃家を出たので午后七時四十分頃の犯行であるというのであり、検察官に対する請求人の自白によれば請求人は白井食堂を出たのが午後七時半頃でそれから犯行に及んだというからである。これによれば犯行時刻は午後七時三十分ないし四十分頃、より極言すれば午後七時半ではなく同四十分頃ということになる。しかし、五月八日の午後七時半ないし七時四十分頃の暗さは視界の殆どきかない所謂薄暮(日没から約一時間以内をいう)の末期の暗さである。午後七時四十分といえば薄暮というより夜というべき暗さである。しかるに受命裁判官の証人桑折已智子に対する尋問調書によると、同人の主人が七時頃帰宅するのを待つていた時その一寸前に被害者が暴漢におそわれたといつて私方に来た。屋外は薄明りであつた旨供述している。受命裁判官の証人黒沢正に対する尋問調書によると被害者が救いを求める声を聞いて現場にかけつけたのであるが、その頃私は屋外の明りで薪割りをしていたし、その頃の明るさはまだそんなに暗くはなかつた旨供述している。これらの事実は札幌管区気象台作成の証明書(当日の日没は午後六時四十二分、月の出は午後八時十四分、雲量六ないし八)及び当裁判所の検証調書を綜合すると犯行時の明暗の度合いは所謂薄暮の中期以前であることが認められる。被害者も屋外の明るさは割合明るかつたと供述しているのである。そうすると、犯行時刻は午後七時半ないし四十分よりも少くとも十分ないし二十分は前であつたことが窺われる。もつとも、被害者調書及び受命裁判官の被害者(A)に対する尋問調書によると、犯行時刻は午後七時半ないし四十分頃であると供述しているのであるが、これは右検証調書中において同人がその明るさの点に関し犯行時の明るさは午後六時五十分頃の明るさ(検証当日は雨天であつたが)であり、七時半頃のように暗くはなかつた旨供述している部分及び午後七時二十分頃家を出たと述べている部分と矛盾すること、同人が立会い指示している実況見分調書には、犯行時刻は午後六時二十分頃と記載されていること、及び受命裁判官の証人横山勇太郎に対する尋問調書によると右実況見分調書の記載は被害者が申述べたところを記載したものであることが窺われることなどからもにわかに措信し難い状況にある。

ところで、請求人が中島方から犯行現場まで歩行したとすればその歩行時間だけでも合計一時間四十分以上である。中島方を出た時刻が午後五時であるか午後五時二十分又は三十分であるか必ずしも明白ではないが、飲酒等の所要時間を併せ考えれば請求人が犯行時刻に犯行現場に到達することは著しく困難である。ただ、酒食などの所要時間が明白であるとはいい難いので、歩行時間だけで直ちに不可能であると断言することもできない。しかしながら、右困難さは犯行時刻が前述のように早くなることによつて益々増大し、証拠の価値判断からすればそれは不可能と解するのが相当である。

(二)(請求人の側からみた場合)

請求人の本件自白が否定されるべきであること及び請求人が当日仕事を終えて中島方を出てから友人である三島純雄と行動をともにした経路については既に述べたところである。

(1)請求人の立ち寄り先での明暗の程度についてみることとする。前記受命裁判官の中島及び三島に対する各尋問調書によれば請求人が白井食堂前に到達するまでにすでに薄暮の時期は経過してしまつていることは明かであるが、「君万才」こと西川アサ子の司法警察員に対する供述調書(その内容に全幅の信憑性があるとはいい難いけれども)によつても既に請求人が「君万才」に立ち寄つた頃には暗くなつて来ていたことを容易に看取することができる。この点において割合明るかつたという本件犯行を請求人が犯しえないことを窺うことができる。

(2)請求人が当日黒のゴム半長靴をはいていたことは明かであつて、被害者が犯人は白のズック靴ようのものをはいていたという点は前記三に述べたところと相まつて、被害者が請求人を犯人と断ずる大きな障碍となるものといわねばならない。

(3)更に請求人は白井食堂前で右三島と別れてからどのような経路を経たか、この点については請求人の供述以外には明確な証拠はない。しかしながら、藤井政雄の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、請求人は当日午後十時半か十一時頃には右藤井方で飲酒しており、ここで飲酒する以前に既に五、六杯の焼酎をのんでいることも容易に窺うことができるので、請求人の供述(白井食堂で約三杯を飲酒したことなど)を単なる弁解として排斥することはできない。(細部の点までその供述どおりであるとはいい難いとしても)

(三)(証人三島、同中島の供述)

受命裁判官の証人三島純雄、同中島金次郎に対する各尋問調書の内容は既に述べたとおりであるが、請求人が三島と行動をともにし、中島方に金借に行き、白井食堂前で三島と別れた当時の明るさ、その時刻などに関する両名の供述は他の証拠と矛盾するところなく(証人三島が帰宅して時計をみたかどうかは別としても)事理、経験の法則に合致し、無理のない供述であるからその信憑性は高いものといわねばならない。こころみに右両名の司法警察員、検察官、弁護人に対する各供述調書を一読してみてもその内容は犯行直後の供述から再審の事実取調の段階に至るまで終始一貫しているのである。されば請求人は、午後八時頃まで三島と行動をともにして酒食などをしていたのであるから、その後において午後七時半頃の本件犯行を犯したとみることは到底考えられないのである。

ところで、右両名の司法警察員に対する各供述調書は原審で取調べられ、しかも排斥されているのであるが、これはその立証趣旨(請求人は犯行後中島方に行つたと考えられている)の点を暫くおいて考えてみても、請求人の自白その他が前述の如くであることが判明しない状況のもとになされているのである。

してみると前述の諸事実が明かとなつた以上、右両名の供述を一概に排斥することは著しく採証の法則に反することになるものといわねばならず、右両名の供述内容は請求人が本件強姦未遂の犯人でないことを窺うに足るものということができる。

五、(原審確定判決の権威)

原審確定判決の内容及びその判示第二の事実(被害者Bの事件)につき、真犯人が検挙され有罪の確定判決をうけたことは前述のとおりである。これによれば、原判決の確定判決としての法的安定性はその一角が崩壊せんとしていることは明白である。而して、原判決が犯人は原判示第一(本件強姦未遂)の犯行後逃走した足で判示第二の犯行を犯したものであると判示して、第一の犯行と第二の犯行との間に前後の関連性を認めている本件においては、原判決の判示第一の事実に対する法的安定性もまた著しく害せられるものということができる。

以上の諸点を綜合し、これを再審制度の目的に照して勘按考量すれば、原判決の基礎となつた事実の認定を覆して無罪の認定をなすべき可能性が高度に認められるものといわねばならない。してみると本件においては、法第四百三十五条の無罪を言渡すべき証拠の明白性が認められること明かである。

第五、(証拠の新規性)

按ずるに、無罪を言渡すべきあきらかな証拠をあらたに発見したという場合の証拠をあらたに発見したとは証拠の発見があらたなことをいい、その証拠の存在は原判決前より継続するとその以後あらたに発生したとを問わないものと解するのが相当である。

そこで前顕各再審証拠の新規性を審究するに、再審証拠として取調を求めた証人黒沢正、同桑折巳智子、同黒川和夫及び各検証並びに提出された琴似町千分の一の地図及び札幌管区気象台作成の証明書はいずれも原審において証拠調がなされたことなく、その発見はあらたなこと明白である。三島純雄の弁護人及び検察官に対する各供述調書、中島金次郎の弁護人及び検察官に対する各供述調書及び請求人の検察官に対する昭和三十一年六月二十日付供述調書等は、原審の判決後の取調によつて作成されたもので、その発見はあらたなものといわねばならない。また、証人A、同中島金次郎、同三島純雄及び同横山勇太郎についてはその供述調書などが原審において取調べられているけれども、より直接的な最良の証拠方法たる人証としてはあらたに発見されたものといわねばならない。

してみると、前顕各証拠は法第四百三十五条の無罪を言渡すべき証拠の新規性が認められること明かである。

以上判断した如くであるから、本件においては無罪を言渡すべき明かな証拠をあらたに発見したといいうること明白である。

よつて、刑事訴訟法第四百四十八条第一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 鈴木進 古川純一 惣脇春雄)

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